ヴェニアミン・マンドリキン



ヴェニアミン・マンドリキン(Veniamin Mandrykin 1981年8月30日生)
 [ロシア・サッカー選手]


 オレンブルク生まれ。幼少の頃にウラジカフカスに引越しFCアラニア・ウラジカフカスのアカデミーに入団した。サッカーを始めた当初はFWに興味を持っていたが身長が伸びると共にゴールキーパーへ変更。13歳の時にはサッカーへの情熱が冷め一度は退団をするがコーチに説得されアメリカで開かれたユースの大会に出場。そこで勝利を収め、真剣にサッカーに打ち込むようになる。

 1997年にFCアラニア・ウラジカフカスでキャリアを始め、1998年にはユースオリンピックに出場した。クラブでは長年正GKを務めていたザウル・ハロフが退団したのを契機にメインゴールキーパーに着く。1998年から2000年まではUEFA U-21欧州選手権の予選に出場した。予選は同組のフランスが1位になり本選出場を逃したが印象的なプレーで海外のスカウトから注目を集めた。2000年1月にはフランスの名門FCジロンダン・ボルドーに招待され10日間トレーニングをした。

 2001年、PFC CSKAモスクワに移籍をした。CSKAではセルゲイ・ペルフンが正GKであったが試合中の事故により亡くなる。ペルフン亡き後は正GKとして出場。2002年は怪我をして、シーズン中盤に差し掛かった夏にロシア代表のルスラン・ニグマトゥーリンが加入してポジションを奪われる。半年のレンタルであった為にニグマトゥーリンはクラブを去るが、2003年にも怪我をし、それ以後はイゴール・アキンフェエフがCSKAの正GKとして君臨した。2007年5月にはアキンフェエフがFCロストフ戦で膝の大怪我を負い、半年間の離脱を余儀なくされた為に、その穴埋めとして20試合に出場した。

 2008年から2010年までは出場機会を求めてFCトム・トムスク、FCロストフ、PFCスパルタク・ナリチク、FCディナモ・ブリャンスクにレンタル移籍をした。

 2010年11月10日、マンドリキンはブリャンスク市内を女性二人と同僚のマクシム・フョードロフ、マラト・マグケーイェフらと共に車で走行中に速度違反をして警察の追尾を受けた。酔っていたマンドリキンはさらに速度を上げたが、その5分後に車のコントロールを失い木に激突した。

 女性二人は骨折などの重傷を負い同僚二人は軽症であった。マンドリキンは脊髄を損傷して重体に陥り、市内の病院へ搬送され手術を受け、2011年2月中旬まで集中治療室で過ごした。2011年6月頃になると徐々にではあるが回復していき、9月にインタビューに答えた時は病院関係者やクラブのサポートに感謝を述べた。2011年11月10日、リハビリテーションセンターに移っている。


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